ゆずとお月様

2004/11/03

11. 柚子莫迦太郎左衛門


あー吃驚を通り越して きゃぁぁぁー プルルルリンリン、いやーん。 怖いやら・嬉しいやら・たまりませーん… / 発声練習終了。

近よらざる時は、ものの黒白(あいろ)と理方(りかた)が判らない。
さぁサ、お立会い。手前持ち出だしたるこの「柚子」。
天の光と地の湿りを受け陰陽合体致さばこの果実が実る。この瓶のフタをパッと取る。
ツカツカと進むが,虎の小走り,虎走り後(あと)に下がるが,雀の駒取り,駒返し、孔雀霊鳥の舞と「柚子」の芸当は十と二通り…そんな訳はない・・・無茶苦茶だ。

天下の大道商人(あきんど)、筑波太郎左衛門についてツラツラ,ウツラツラと書く。
お馴染み「蝦蟇の油売り」と云えば…である。

この”蝦蟇の油売り”のことを良く知らなかった、いや、知ってはいたが意識してはいなかった。
だから、子供の頃のテレビで、金魚を飲み込んで活きたまま出したり、口から火を吹いたりするのと同じ大道芸として記憶彼方風物詩の一つであった。

理屈を省略していうと、
談志家元の蝦蟇の油に、夜店風景を学、柳行師匠の蝦蟇の油を訪ね、新撰組を思い、サミットという会社での商談の内容(弊社(うち)の製品は現時点はない。)などつらっと全部が繋がって突然頭の中で響いたということだ。(理解る人にはわからぁね…)

ずばっといえば、テレビでいう視聴率、経済の販売効率、味覚でいえば甘み(うまみ)一辺倒では筑波太郎左衛門のことはまず理解らない。大体苦味のわからないのに甘味は判らない。(ドイツの格言というから怪しいかも知れない…)それどころか、野武士のような凄みや、突き抜けた莫迦莫迦しさを感じるのだが、マトマラナクなるので(自分は平気(かまわないの)だが…)これ以上失礼になるといけないし、判りやすく噺を極端にかつ限定して進めることとする、という言い訳けをしておく。 ”ありがとう”の言葉をタリムに残そう・・・おっとこれは関係ない。

このオジサン、長年稼業と致しまするは”金看板御免軍中膏ガマの油だ”、お立会い。
そう、大道にて軟膏の薬を売っているのが筑波太郎左衛門さんなのである。
行きかう人の足を止め、気持ちの準備のない通りすがりにテメエのものを売るなんぞ容易なことではない。

つまりは、新宿の駅前で週刊誌を並べて座ってるおっちゃんや、フォークギターで弾き語り気が向いたらお金を入れてねという青年、いらっしゃいませとニコニコっとする受付嬢。はたまた、お客様のクレームにすべからくごもっともごもっとも…さようさよう…、丁寧に説明する以外に決裁件のない店員達とは、太郎さんのやっていることは一味も二味も違う。

世の中、良く"経営のプロ”なんぞと自負して、手前が働かずして儲け、自己を正当化し、人を騙し、欺き、人脈を都合で用い、文明というシステムを利用してゲーム感覚で金を儲けるのが上手く、世間を巧みに背中にして、金で解決するばかりなのに、それが自慢になるとおもっている…、その点、太郎さんちゃんとしてから基本的に、ウン、根本的に違う。(再度言う、自分を棚に上げ、極端にかつ限定して進めている…。)

噺をもとにもどして、
”売る”という行為から少しばかり考えてみる。

よくあるのが、オケをつける、増量する、値引きする、といったお得戦法。
宣伝する、ラベルをよくする、うまいコピーをつけるといった見た目戦法。
有名人にお墨付をもらう、キャラクターをつけるといった虎の意を狩る戦法。
ヨンさんや新撰組といった話題に便乗する、観光地お祭りを利用する…便乗戦法。

希少価値だ、効用だ、差別化だ、価格政策だ、メガ・マルチ・共同…ブランド戦略だ、
ポートフォリオだ参入障壁だ、製品ライフサイクルだ、技術革新だ、大量生産だ多品種だ、
環境配慮だ、健康増進だ…、平均値だ、データだ、限定だ、マーケティングだ、確率だ、解析だ、
組織力だ、労働意欲だ、金利だ、株だ、交換価値だ、イメージだ、情報リテラシーだ、ユーザービリティーだ、コミュニティだ、口コミだ、心理学だ、好き嫌いだ、イショだ、
だ、だ、だ、だ、だ、だだだだ…だっただー…云う物は識らず、知るものは云わずだ…
ダダダ・ダーん、だだ転び八起き、だだいまー、二こぶだだだ、だだの酒って、だだはイケナイ…。
さもなくば、人情に訴え、同情を買い、客に媚び、根回しをし、アイデアを盗み、不安を煽り、好奇心を、優越感をくすぐり、…(これ以上は金くれたら書くよ…)

売るとは行為はとどのつまりがこれらなのである、
買うのも…、所詮はこれも屁理屈か…           

スーパーでよく目にする”店長お奨め”に"月間特売”。”試食宣伝”…
独自で売場を管理し、店長自ら店舗に立ち、ときには消費者の代表として代わり判断し行動してくれる良心的なお店もまだあるものの、実際には製造業者が”店長お奨め”や”月間特売”のポップを金で買い、値引きを原価に組み入れ、試食宣伝と引き換えに商品の導入を行い、小売店の代わりに売場の陳列や撤去応援をしているのが実態となりぬれば、なりぬればとくれば、それが小さな企業に対する参入障壁でアリンスよ。(念のため良し悪しを云いたいのではないよ)

良し悪しではなく、そういうギブアンドテイクも、全体として、お客様の為に良いものを売ろう、良き会社にしよう、という意識があればなんとかなる…。政治家も”国を思い、良かれと思う”前提…、どういう制度であれ、ある程度出て来れない奴はだめなんだろうし…。(微妙にセコイことを書いている。…ハックション。)
もっともアメリカでは、小売店に選ばれた”大手”メーカーは互いに情報を公開・共有し、日々の売上データに基づいて、メーカーの方で生産管理から小売店の在庫管理、果ては商品の補充まで行っているという。徹底的にコスト削減を行って得られた利益を顧客を含めて三者で得るというわけだ。消費者が購入プロファイルとして区別していないものは日本もやがてそうなるよ…。

要するに、顧客データーを視て、例えば牛乳はブランドよりも容量の大きさで区別して買っている傾向がとても大きいと、そう判定されれば、売り場はPB牛乳一色となり、容量の違うものだけが並ぶこととなる。こういう情報共有力と開発力、組織力のある”強者”の牛乳だけが生き残るというわけだ…。
これは、低価格で勝負する業態に限った場合ではあろうが…。そういう現実がアメリカでは既にある…。

あー香港で自転車こぎながら喰ったバナナの味は幸せだったぞー。
あーアぁーー アァー あぁー
あーん。

世の中”売れないものは糞であり””売れない奴は駄目である”は、その通りには違いない。
だが、”それだけ”を続けることはとても危険なことで、とくに”文化”の為には…なのだ。一人でもいいから突き抜けるか、別の基準をせめて一つは持とうじゃぁないか、お立会い。

例えば、製品の説明は言わずもがなとして、マニュアル通りに、いらっしゃいませから始まり…有難うございました、とヒタスラ丁寧に徹するよりも、言葉は下品でも、ジョークを飛ばし、無言でも客の”間”を捕らえるのとドッチが難しいことをしているか、ちょっと考えれば判ろうというものである。誰でもできることと、出来ないことの区別といってもよい。社長を気にし、会場を気にし、○○を気にしてると出来ないことがある、ということが判り見抜ける客になるのも、お客様を育てるのも大切なことである…。
(ハイ、その通りテメエを棚に上げてホザイテイルノデアリマス。)

因みにうちの客に、賞味期限はどのぐらいですか?に対して
”どのぐらいだといいんだ?”などと云ってちゃんとウケる。
近頃は、製品とまったく関係ないことをブツブツいってても売れる…
時にあなたはお幾つですか?
お帰り、お帰り、お帰り…。
香港のバナナは本当に旨いよ。
ものの始りを一という。
太陽が西に沈むと…
マカオのロブションのポテトスープに毛が入ってて…俺に毛がなし…。
センダンは双葉より芳し…
5本はいかが、4本、2本、1本…ナシナシはいけない・・・
そうか、伝統が切れてしまうことがいけない
トントントーン。トンツートンツー、トーンが大切。
うん、木々はとってもやさしいよぉ…。
お座敷へどうぞ…

余談はそのぐらいにして、
さーサお立会い、お立会い。御用とお急ぎでない方はゆっくりと聞いておいき。
黒のタキシードに緋縅(ひおどし)の鎧、長靴はいて風船もって
大看板はガマ油売りの登場である。

さっき分解した”売る”という行為を知ってかしらずか、はたまた達観してるのか、天下の日本男子。
それらの限界を、”人間というもの”を知っているのか、照れか、狂気か、無碍自在、バランス感覚の妙なのか、軒の棟木に降り積もる雪の灯かりが味方松明。地口の半纏ダンダラ筋白き木綿の袖印…おっとこれも関係ない。

鐘に撞木(しゅもく)を当てざれば、
鐘がなるやら撞木(しゅもく)が鳴るやらトントその音色が判らぬが道理だ。と始まり
棗(ナツメ)の中にある人形の芸当の啖呵につづき

製品の由来、説明、成分、効能、を違和感なくキラリト輝く彗星の如く、ボラが食う…いや、鯉が登る滝の如く見事な啖呵に合わせて、抜けば玉散る氷の刃を持ち出だす。
刃物の切れ味を試すのに、紙を取り出し一枚が二枚、二枚が四枚(しまい)、四枚が八枚、八枚は十六枚、三十二枚、六十四枚、六十四枚が一百(いっそく)と二十八枚だ、お立会い。
”ふっ”と散らせば春は三月落下の舞比良の暮雪は雪降りの景(かたち)、とやる。
まったくもって”無駄なことを”極めている。

少々の論理矛盾や飛躍など己が内容とパーソナリティのはみ出しで補って余りある(これを本当の私物化という)。

落語では売れた金で酒飲んでご機嫌になり調子にのって失敗するという噺である。

これ以上の説明は野暮である。是非家元をお聴き頂きたい。

雪に熱湯を注ぐがごとく痛みは去るよお立会い。
柚子馬鹿も現場でブツブツいっている。
ヨッ
ウェルカム、ウェルカム…

鐘は心のなかで鳴…、あっおばさんこれ頂戴っ
どうして?
欲しいから。

                        **     **     **

思うに、この蝦蟇おじさん、よくあるテキヤとは違う。テキヤ=胡散臭いというありがちの見方も判るけど上述の内容の本質でない。本当に胡散臭ければ人も集まらなければ売れない。これだけの芸当ができるのなら本当にやろうと思えば現代っ子顔負けの智慧も度胸もあろう。単なる金目当てならばもっと楽なことをやるだろう。株で儲けるぐらい朝飯前だ。ずる賢い奴が酔って失敗のお調子者にするのには無理がある。そうではないのだ。そう観てはつまらないのだ。

半端な奴は正義面して己が辻褄を合わせるので精一杯。一歩進んでデタトコ勝負と自分を投げ出す程度。このおじさんどうもそれではおさまらない。おさまらないと知ったとき、尋常では到底及ばない…。ドロップアウトもしていない…。どこにでもいる蝦蟇の油売りでなく、菊一文字を扱える程の蝦蟇の油売りがきっといた筈だ。だから馬鹿馬鹿しいほどに面白い。
裏から見れば、その境地と雰囲気が解らず、手に負えないから「下手な金儲け」、間抜けな奴として処理するのが多く精一杯も仕方が無かろう…。今の時代、本家蝦蟇の油売りが必要じゃないかな…。

(※ 色をかえて表現している一連の言葉は、家元、落語のフレーズ、蝦蟇の油の口上から引用させて頂いております。)